知り合いの庭師さんの作品が、世界コンペでグランプリに輝いた。
先日、受賞の報告と記念パーティーの案内メールを頂いたのだが、
あいにく翌日大相撲の広島巡業を観に、朝早く家を出るので、泣く泣く参加を辞退した。
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その庭師さんとの出会いは、2年くらい前にさかのぼる。
昭和初期の作庭家、重森三玲さんの作品を探して、福山市鞆の浦を訪れたときだ。
三玲さんの手掛けた安国寺が鞆の浦にあるのだから、他の個人宅の作品も鞆の浦にあるに違いない。
そんな安易な想定をして、私は目ぼしい家の庭を塀の隙間から覗いて歩いた。
確信の持てる庭に出合えず、諦めて帰ろうとしたところで、
坂本竜馬が滞在した家の庭の手入れをする庭師さんに出会った。
やっぱり私が塀の隙間から中を覗いていたところ、庭師さんのほうから声を掛けてくれた。
そして、三玲さんの手掛けた庭を観て歩いていることや庭園観などを、私は熱く語った。
新しい感覚を持ちながらも伝統を受け継いでいこうとする若い庭師さんがいることを知って、私はかなり興奮した。
その後、ブログにコメントを書かせてもらったり、オープンハウスへ行ったりしている。
しかし、がっつり庭談義に興じることは、そのとき以来、実現できていない。
世界一に輝いたとあっては、いよいよ忙しく、ただの庭好き人間と不毛な対話をすることは、なかなかかなわないだろう。
何度か庭談義の機会のヒントを投げてくれてたときに、行くべきであったと後悔している。
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コンペでグランプリをとった作品は、昨年オープンハウスに行った庭である。
そのとき、庭師さんの友人から感想を求められ、
「今はわからない」と、私は答えた。
庭の良し悪しは、時間が経ってみないと判断できない。
四季を通じ、歳月を経て、観る人が変わり、それでも何か伝わるものがあれば、
良い庭と言ってもいいんじゃないかと思う。
いや、永遠に判断できないかもしれない。
観る人が、良いと思えば良いし、悪いと思えば悪いのだろう。
全ては、観る人が決める。
庭師は、持てる力を尽くし、判断は観る人に委ねるしかない。
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その庭師さんは、来年オーストリアで開かれる庭園のイベントで、会場デザインをするそうだ。
海外での作庭だし、環境や材料など勝手が違うので、混乱することがあるかもしれない。
そんなときは、思い出してほしい。
修業時代のことを。
庭師さんのことだから、きっと生半可な気持ちで修業をしていなかったはず。
地道に学び、積み上げてきた能力があるのだから、自信を持って、
不要と判断したものは捨ててほしいし、必要と判断したものは、たとえタブーとされることであっても取り入れてほしい。
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さて、ここで、なぜ庭師さんの名前を明記しないか?
大きな賞を取ったからといって、いきなり知り合い面するのは、みっともないから。
(以前のエントリーには、庭師さんの名前(屋号)を出してるけど)
だったら、このエントリー自体、書かなきゃいいって話なんだけど、
その庭師さんの作品が世界で認められたことは嬉しいし、思いの丈をぶちまけたいんだけど、かといって知り合い面はしたくない、みたいな。
複雑な乙女心ですよ。
って、乙女ってトシじゃないか!