2013年9月14日土曜日

墓参り

彼岸には早いが墓参りに行ってきた。


今日は父方母方の双方に。


母方の墓は叔母が頻繁に参ってくれているらしく、綺麗に掃除されていた。


父方の墓は少し離れた場所にあることもあって、落ちて腐った花や葉にまみれていた。


弟の墓も同様で、両隣の墓は最近参った様子があって綺麗なのに対して悲惨だった。


今日はたくさん花を買って行ったつもりだったけど、少し足りなかった。


それでもカラカラに枯れた元花らしきものが刺さっているよりは、数輪でも色鮮やかな花があればご先祖様も弟も喜んでくれるだろう。


来週は彼岸なので、両親に花を増やしてきてもらおう。

2013年8月25日日曜日

浮世絵展

ふくやま美術館に「黄金期の浮世絵 歌麿とその時代」を観に行ってきました。


パンフレットによると、浮世絵版画と肉筆画を合わせて約136点を一堂に展示、とあります。


136という細かい数字なのに、なぜ「約」なのか、そういう突っ込みは置いといて。


見ごたえのある数なのは確かですが、美人画や役者絵などの人物画ばかりで後半は飽きてしまった。


それでなくても浮世絵って、どれも同じような顔なのに。


1000円も払って観ることなかったかもなぁ…

2013年8月18日日曜日

弟よ!

弟の墓参りに行った。


今日はバレエのレッスンだったが、色々なことが段取り良く進まず、間に合わなくなってしまった。


ぽっかり時間が空いたので、友人を誘って出掛けようとしたら仕事だと言われた。


そして思い出した。


一昨日、両親が弟の墓参りに行ったものの、いつも花を買うJAが開いておらず、花を供えずに帰ったことを。


しばらく墓参りに行ってないし、ここはひとつお姉ちゃんが花を供えに行こうじゃないか!


(私はこういう見えない力に動かされることがよくある)


さすがに盆が明けて墓の近くのJAも開いているだろうと思って行ったら、まだ休みだった。


仕方なく家の近くのJAまで引き返して花を買い、再び墓に向かった。


可哀想に、周りの墓は色とりどりの花が供えてあるのに、弟の墓にはドライフラワーと化した紫色のスターチスが申し訳程度に刺さっているだけだった。


(そりゃ、見えない力で呼びたくもなるわな)


弟よ、お姉ちゃんが来たから、もう大丈夫だ!


そう言いながら、鶏頭や千日紅や小菊などで弟の墓を賑やかに飾っていった。


お姉ちゃんはダメダメな人間ではあるが、こういう優しさだけはあるのだ、弟よ。


もはや汗で流れていつもの墓参りの顔になってしまったが、最初のお出掛けメイクのお姉ちゃんもまんざらではなかろう?


そう思ったら、誰かいい男を紹介しろ!
条件は生きてる人間だ!


(それとこれとは話が違うと言いそうだ)


次の休みこそは、お出掛けできるよう祈っていてくれ、弟よ!


お姉ちゃんは頑張るぞ!

2013年8月4日日曜日

竹喬美術館

バレエのレッスンのあと、笠岡市にある竹喬美術館に来ました。


「四季を歩む竹喬」
2013年7月20日(土曜)〜10月6日(日曜)
入館料500円


暑い夏の昼下がり、爽やかな竹喬の色使いが清涼剤になりました。


近隣の美術館でもいくつか興味深い展覧会があるようなので、近々行こうと思います。

2013年7月21日日曜日

大相撲名古屋場所 その2

安美錦関は、西の3枚目で6勝9敗の負け越し。


弟弟子の宝富士が東の7枚目で9勝6敗。


かろうじて、宝富士に番付を越されずに済むか。


負け越しはしたものの、脇腹を負傷する前の横綱白鵬を土俵際に追い詰め、稀勢の里にも良い相撲を取った。


とはいえ、安美錦関自身がインタビューで語ったように、勝たなきゃ意味がない。


右膝に加え、右肘も傷めたらしく、最後の詰めが効かないのだろう。


しかし、引退の文字が見え隠れするにはまだ早い。


もっと精進して、産まれてくる子供に土俵での勇姿を見せてほしい。


けっぱれ、お父さん!!

大相撲名古屋場所

15日間というのは長いようで短い。


名古屋場所も、あっという間に終わってしまった。


今場所、なんと言っても注目は、稀勢の里の綱取りだった。


しかし、残念ながら前半で早くも消滅。


昨日一昨日と両横綱を破り、来場所に綱取りの望みをつなぐかに見えたが、今日の琴奨菊戦で腑甲斐ない負け方をし、それもなくなった。


綱取りは、また振り出しに戻った。


なんとなく、稀勢の里は横綱になれない気がする。


今のままでは多分、万年横綱候補だろう。


大関のときみたいに、ライバルに先を越されて尻に火が点いたら奮起するんじゃないだろうか。


でも、横綱になることが全てではない。


魁皇は運悪く横綱になれなかったけど、その代わり歴史に名を残す立派な大関になった。


短命で記憶に残らない横綱よりも、息の長い人気者の大関のほうがよほど素晴らしい。


稀勢の里よ、横綱昇進は諦めて、第二の魁皇を目指して頑張ってくれ。


お疲れさま。よく頑張ったよ。ありがとう。

2013年7月7日日曜日

かごめかごめ

七夕について調べていたら興味深い話に行き着いた。


七夕の神事は、ほとんどが7月7日午前1時に行われるらしい。


この7月7日午前1時のことを「夜明けの晩」と言うそうだ。


「夜明けの晩」


そう、「かごめかごめ」の歌詞に出てくる謎の時間である。


 「かごめかごめ」

かごめかごめ
籠の中の鳥はいついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀がすべった
後ろの正面、誰


ということは「かごめかごめ」は七夕の歌なのか?


そう思って読んでみると、籠の中の鳥は、天の川を架けるカササギを指すように思える。


織姫か彦星のどちらかが問う。
「籠め、籠め。
籠の中の鳥はいつ出るの?」
「夜明けの晩に」


また、籠の中の鳥は、離れた家に閉じ込められ「籠の鳥」にされている織姫と彦星のことも示唆しているかもしれない。


ここまでは順調に辻褄があったのだが、問題は後半である。


鶴と亀、後ろの正面が、七夕に結び付かない。


そこで「かごめかごめ」について調べてみると、後半部分ができたのは明治以降らしい。


元々の歌詞は違っていて、文献に登場する一番古い歌詞の後半はこうである。


つるつるつっぺった
鍋の鍋の底抜け
底抜いてたもれ


これが茨城県発祥の歌かどうかわからないが、
茨城県の方言で「つっぺる」とは「川などに落ちたりはまる」ことらしい。


深い夜は「夜の底」と表現されることから、底を鍋の底と見立てて「鍋の底を抜く=夜が明ける」ことを表しているのではないか。


「底抜いてたもれ」は「底を抜いてください」の意で、万物を司どる天帝、自分たちを引き離した天帝に対して「夜を明けてください」と頼んでいるのではないか。


つまり、後半の歌詞の意味はこうではないだろうか。


「天の川にはまってしまった
夜よ、明けてくれ
(天帝よ)夜を明けてくれ」


天の川に溺れて死ぬよりは、一年に一度でも会えるほうがいいということか。


ちなみに「かごめかごめ」の歌が書かれた最古の文献は、浅草の修行僧が書いた「竹堂随筆」である。


それから、別の童謡にこういうのがある。
「鍋、鍋、底抜け。底が抜けたら帰ろ」